2019-03-08 第198回国会 参議院 本会議 第7号
結びに、伊達忠一議長を始め議員各位に重ねて厚く御礼申し上げますと同時に、郷土北海道民お一人お一人に感謝し、また、支えてくれた事務所の秘書、スタッフの皆さん、家族の苦労に感謝申し上げ、私のお礼の御挨拶といたします。 本日は誠にありがとうございました。(拍手) ─────・─────
結びに、伊達忠一議長を始め議員各位に重ねて厚く御礼申し上げますと同時に、郷土北海道民お一人お一人に感謝し、また、支えてくれた事務所の秘書、スタッフの皆さん、家族の苦労に感謝申し上げ、私のお礼の御挨拶といたします。 本日は誠にありがとうございました。(拍手) ─────・─────
私もその精神を心に、微力ながら、郷土北海道の活性化のため、また、公害対策、農林漁業、科学技術の振興、宮城沖地震初め台風、豪雪等の自然災害、積雪寒冷地の諸施策などに取り組んでまいりました。これもひとえに皆様方の御協力のたまものであり、心から感謝を申し上げる次第であります。 今、激動する世界の中で、日本のあらゆるシステムを新しく構築しなければなりません。
この間、数多くの試練を乗り越えて本日の栄誉に浴することができましたのは、先輩、同僚議員各位の御指導、御鞭撻はもとより、我が郷土北海道の多くの方々の多年にわたる温かい励ましと御支援のたまものであり、今はただ感謝の念でいっぱいであります。まことにありがとうございました。
幾多の試練を乗り越え、きょうのこの栄誉に浴することができましたことは、ひとえに、諸先輩、同僚議員各位の御指導、御鞭撻並びに今日まで私を信頼し、励まし、支えてくれた郷土北海道の多くの方々の温かい御理解と御支援のたまもの以外の何物でもございません。今は感謝の念でいっぱいであります。(拍手) 顧みると、私が初めて本院に議席を得ましたのは、昭和三十八年十一月の第三十回選挙であります。
また私の郷土北海道の帯広病院と十勝療養所、これは統合の予定でございますが、この十年間に帯広病院には十六億五千百万円の整備費が、十勝療養所には八億六千六百万円の整備費が投入をされてきたのであります。しかも今明らかになったように、今日まで国立病院・療養所の整備のために財投から五千三百九十二億円の借入、現在は残高、残額がある、こういうような状況にもなっている。
君は、「どさんこ」として、郷土北海道をこよなく愛し、もともと農林漁業者の生活向上の願いを政治に込めた君であり、しばしば北海道開発審議会委員を務めるなど、郷土北海道の開発、発展にも尽力されたのであります。農林漁業の振興、釧路漁港など重要港湾の整備、サロマ湖等の湖沼開発など、君の残された多くの業績は枚挙にいとまありません。
私のこの栄誉は、何よりもまず一九五八年以来九回の選挙で連続して私を国会にお送り下さった郷土北海道の皆さんの永年にわたるご支援のたまものであり、かつ、先輩・同僚議員各位のご協力ご教導のおかげであります。心から厚くお礼申しあげます。
北海道開発法によって北海道の開発が国家事業として進められているわけですが、そういう際に、幌延町なら幌延町に核のごみ処分が行われるということは、これは幌延町だけの問題じゃなしに、わが愛する美しい郷土北海道にそういう処分地点が置かれる、こういうことであります。単に幌延町の町長さんが言われたからということじゃなしに、北海道という全体の中で問題をやはり理解していく必要があると思うわけであります。
今日、この栄誉に浴することができましたのは、ひとえに、郷土北海道の皆様の多年にわたる御支援と、先輩、同僚議員各位の御鞭撻のたまものであり、衷心よりお礼を申し上げる次第であります。 顧みますれば、昭和二十七年十月の第二十五回総選挙に、日本社会党より立起し「青年よ銃を執るな!わが子を戦場に送るな!」
(拍手) これひとえに諸先輩、同僚諸賢の並み並みならぬ御指導、御鞭撻のたまものであり、とりわけ長年にわたる郷土北海道、選挙区各位の心温かい御支援、御厚情によるものであり、この機会に改めて衷心より厚くお礼を申し上げます。(拍手) 思えば、私が本院に初めて議席を得ましたのは、昭和二十四年一月の戦後間もない混乱のさなかであり、民心は動揺し、国民生活は貧困のきわみでありました。